北海道(道南) 旅クマ 観光案内 木古内町サラキ岬の「咸臨丸」

華々しい経歴から一転。悲劇の旧幕府の主力艦!

1場所、地図


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所在地情報

〒049-0404 北海道上磯郡木古内町亀川

🅿有

施設情報

24時間開放

2説明、画像

道南は函館を中心とした北海道開拓の入り口であり、そのため多くの船の逸話が多いエリアでもあります。

とくに戊辰戦争最後の戦いになる箱館戦争の関係で多くの船が沈没したエリアでもあります。

その中でも、江差の開陽丸などが有名ですね。

マカ
それじゃ、今回紹介するのは、その開陽丸ですか?
 いいえ、開陽丸は後日紹介する事にして、今回紹介するのは、木古内町、サラキ岬にある咸臨丸です。

レタ
咸臨丸?名前は強そうな船だワン
 咸臨丸は、幕府海軍創成期の主力艦として配備されていた船で、木村摂津守喜毅、勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎など百余名を乗せ、日米修好通商条約批准書交換目的で渡米する幕府遣米使節護衛目的の随伴艦として太平洋を渡ったりした実績のある船でした。
 戊辰戦争後、北海道移住を余儀なくされた仙台藩片倉小十郎家臣団401名を乗せて仙台の寒風沢を出港した咸臨丸は、箱館経由で小樽に向かう途中、1871年(明治4年)9月20日、木古内町のサラキ岬沖で座礁、その後沈没してしまいました。
 幕府軍の初期の主力艦でありながら、船のキャリアからすれば、残念な最後でした。

青玉
開陽丸もそうだが、どうも座礁するな。
この時代でも高性能な船だったろうに・・・。
 まぁ、この時代はまだまだ北海道は未開の地だったので仕方が無いんでしょうね。
 そして、その咸臨丸が座礁沈没したのが、木古内町のサラキ岬なんです。
 サラキ岬には、そんな咸臨丸を忍んだ木碑と咸臨丸(モニュメント)があります。
・咸臨丸終焉の地の説明

マカ
へぇ、それでその咸臨丸はどれなんですか?

レタ
きっと開陽丸みたいなのかワン
・サラキ岬の咸臨丸
咸臨丸(アップ画像)

マカ
えっ?これがその咸臨丸ですか?

レタ
小さいワン・・・。
 このサラキ岬の咸臨丸は、「咸臨丸とサラキ岬に夢見る会」が中心となって、咸臨丸モニュメントで、江差の開陽丸のように引き上げと復元したようなものではないんで、正直歴史の復元物としてはショボイですが、開陽丸以外にもにも咸臨丸のような船があった事を後世に伝える事ができています。
 サラキ岬の場所は、北斗市側から木古内町の入り口付近にあり、多くの駐車スペースもあるため、興味のあるひとは立ち寄ってみてください。季節にはチューリップが咲いていてとても綺麗です。
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